佐久の風花・メモリアル

オリジナル短歌&エッセイ&気まぐれ日記

エッセイ(2/8)

C型肝炎

去年の暮れのこと、かかりつけの医院で血液検査をしてもらったところ、肝機能の数値が異常に高いから詳しい検査をするようにと忠告された。その数値は半端な高さではなくあきれるくらいの高さだというのだ。

医院の先生は外科医なので、内科の肝臓の専門家にとのことであった。

そこで、近くの総合病院の内科で検査を受けることにした。

検査の結果はC型肝炎とのこと。

昔、長男出産のおり大量出血を起し、保存血での輸血をしたことがあり、どうもそれが一番の原因のようだ。

帰宅してから、パソコンで厚生省のHPを見たところ、何と平成十六年十二月九日付けで、C型肝炎ウイルス検査の呼びかけをしていることがわかった。

平成六年以前に公表医療機関で止血剤、輸血などの治療を受けた人に対しての呼びかけであった。五項目ほどのなかに、出産時に大量出血をしたことのある人というのがあり、私がまったくその項目に該当している。

そこには、私が輸血をした総合病院の名前もあり、患者の診療歴を検索すれば輸血をした患者がわかるというような記述があった。

ならばその厚生省の呼びかけがあった時点で、総合病院は患者の割り出しをするべきではなかったか。

私はC型肝炎のことなどまったく知らされず、予防や治療などのアドバイスを受けることもなかったのだ。

もっとも私の体力のほうが勝っていて、肝機能の数値は常に基準値内であったから、問題にもされなかったのかもしれない。

しかし、ウイルスは生き残っているのだから、いつか猛威をふるうかもしれないと患者に伝えるべきではなかったかと、今は無性に腹がたっている。

C型肝炎は放っておくと、肝硬変から肝癌へと進行していき、手術をしても五年生存率が七十%などと聞くと空恐ろしくなる。

私には介護をしなければならない息子が二人もいるので、肝癌でなど死にたくはない。

フィブリノゲン製剤(血液製剤)の原料に肝炎ウイルスが混入していたにもかかわらず、そのウイルスを不活性化するための技術が十分でなかったと言明しているが、アメリカで早くから分かっていたのに、それを野放し状態にしていた厚生省の責任は重い。

薬害エイズもそうであるが、誰か犠牲者が出ないと腰を上げない厚生省の体質を根本からたたき直さないと、これからの日本の医療は安心して任せられない。

現在私は、ペグインターフェロンとリベトールカプセルの併用治療を開始した。皮下注射の痛いのは我慢できるが、その後のインフルエンザ様の副作用にはまいった。しかし二度めはさほどの副作用も無くまあまあに生活できそうで少しほっとしている。

若い主治医は私が途中で投げ出してしまいそうな感じだなどと言うが、私がそんな柔かどうか良く分かっていないようだ。もっともまだ主治医との付き合いは短いから無理もない。

何しろ数種類の抗癌剤を朝から夜まで連続で一週間打ち続け、次の月もまた同じように抗癌剤の投与を受けたことのある私である。インターフェロンごときで挫けるものか。

2006年05月30日(火) 00時00分

抜歯

良い歯を自慢していた私だったが、最近は歳のせいか手入れが悪いのか歯がだんだん少なくなってしまった。

先日も前歯でりんごをかじったら、ぐらぐらの一本が前に飛び出してしまい、けっきょく抜歯するはめに・・・

主治医の先生が、遅かれ早かれ抜かなければと言うので、観念して抜くことにした。

麻酔が効いてきたら、研修医の女性の先生が私に抜かせて下さいと言うのでちょっと嫌な予感がしたのだけれど、お願いすることにした。ところが力が無いのか慣れていないのか、引っ張ったりねじったりするので、冷や汗が出るほど痛くなってしまった。

痛いですか?

先生思い切ってがあっと抜いてください。

そんなこと言ったって痛そうで・・・

前歯は麻酔なんか効きませんからどうぞがあっと・・・

やっぱり麻酔を追加しますよ。

麻酔は嫌いですから思い切って・・・

・・・

気がついたら追加の麻酔をされていた。でもぜんぜん効かない。ゆっくり抜くので痛いの何のって、もうっ!

一本抜いたらまるでおばば・・

前歯ですから抜いた歯を接着剤で付けときますね。

はい、お願いします。

さんざん痛い目にあったあげく、接着剤の匂いをよろしく吸い込んでしまい、帰宅してから具合が悪くなってしまい、そのまま朝まで寝込んでしまった。

美人の研修医の頭に角が生えている夢を見ながら・・・

2006年03月02日(木) 16時37分

結婚式

九月二十五日、長男の義妹の結婚式が執り行なわれた。

レインボーブリッジが一望の、海べりの静かなホテルであった。

新郎新婦は三十路を過ぎてはいるが、やはり初々しくて華やかで列席の私も晴れやかな気分になった。

その日は台風がいくつか停滞していて、その中の一つは関東方面に接近するとニュースで伝えていたので心配でならなかった。

しかし、外れたらしくまあまあの天気でほっとした。

何しろ気管切開をして呼吸器装着で車椅子の長男と、三歳と一歳の孫を連れての、しかも日帰りの旅なので何がなんでも晴れてほしかったのだ。

披露宴はハワイびいきの新郎の注文とかでプロのハワイアンバンドの演奏付きで楽しかった。ライトアップされたレインボーブリッジを見ながらのお料理もおいしかった。おいしかったが一歳の孫の子守りをしながらの食事なので、ナイフもフォークもスプーンも孫のおもちゃになってしまい、私はお箸で食べていたので横に置くと食べかけのお料理も下げられてしまった。

カニやサーモン、キャビアの類いは孫に食べられてしまうし、小さい子を連れてのフランス料理は何とも落ち着かない。

日帰りなので七時台の新幹線の切符を取ってあり、それに間に合うようにとホテルから福祉タクシーで東京駅まで行った。

ホテルでは電源をもらったのだが、バッテリーが自宅まで持つかどうかと嫁さんが心配するので、私も少し心配になってしまった。何しろ呼吸器の内蔵バッテリーが何時間たっても満充電にならないのだ。呼吸器の会社に電話を入れたら、電源を何回も抜いたり入れたりすると、六時間くらいしないと満充電にならないらしい。でも、表示がオレンジ色だと八割方充電されているから心配ないと言われほっとした。

呼吸器をつけての遠出は、やはりバッテリーの制限時間があるので神経を使う。佐久平駅に無事に降り立った時はもう安心と、急に疲れがでてしまった。

何はともあれ、無事に帰還できて胸をなで下ろした。

2005年10月02日(日) 00時00分

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著者

ルナ(土屋浩子)

昭和16年生まれ。長野県佐久市在住。昭和48年3月、「短歌新潮」入会、丸山忠治先生に師事。昭和60年12月、第一歌集「風花」を出版。平成19年6月、第二歌集「水辺の秋」を出版。平成20年11月没。

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